不穏1



 よっしゃー、今日はモモちゃんよりも早く起きられたぜ!
 ああ、こんな朝の一杯は格別だね。水だけど。
「おはようございます」
「おはよー、モモちゃん」
 部屋に入ってきてまず視線を巡らせ、それからほっとした表情をするピーチュを見ていた。彼女がカーテンを開けに行くのを見計らい、あたしもそっと見渡してみる。
 今のあたしの部屋は、綺麗だ。枕はきちんと収まっているし(あれ、足下? もしや寝てる間に蹴飛ばし……ええっと、少なくともベッドの上にはあるし)、なにがしかが散乱していることもない。
 ずっと、彼女はなにも言わなかった。あたしに一言でも問うことはなかった。
 それでも、心配を掛けていたんだな、と思う。
 ありがとう。
「え? なにか言いました?」
「ううん、なんでもない! 朝ご飯なにかなー」
 裾の長すぎるワンピースってな感じのここの衣装にもすっかり慣れて、今は自分で帯もきちんと締められる。結び目オッケー、我ながら綺麗だ。上から貫頭衣みたいな布地を被って完成。居間に出る。
「はよ、ナノ。寝不足?」
「……寝たことは寝た」
「駄目じゃん。昨日もじゃないの?」
「あ、あれは! ――……いや」
「なにー? なんか距離を感じるなあ」
「良いからさっさと座れよ。スープつぐから」
「じゃああたしそれ盛るから貸して」
 手を差し出すと、ナノは無言で皿を押しやってきた。視線が微妙だ。
 な、なんだよ。ここ来て次の日にはこうやって申し出てたんだから今更じゃん。そんな今更しみじみ、変な子だなー的視線を向けなくっても。
 本来、給仕は「従者」であるナノの仕事で、あたしのやっていることはそれを奪っている形になる。分かってはいるけど。いや、うん。
 ここ王宮だしなあ。駄目なんだろうなあ……。
 いやしかし、知らない振りをさせていただいている。座ってお客様してるの居心地悪いんだよ……。知ーらない。あたしなんにも気づかないー。
 今日の朝食には魚があったのであたしは上機嫌だ。ふわっふわの白身のフリッター。柔らかい衣はハーブで香りづけしてあって、茶色い料理しか作れないあたしには、いくら慣れてきたとはいえまだまだ珍しい味わいだ。美味。
 いや、醤油は万歳だよ。味醂も味噌も昆布も鰹も。でもうちの家って絶対皆、年食ったら高血圧になると思う。
 最後に残しておいたパンの一口をよく噛んで飲み込む。米食でもパン食でも、これ絶対にやっちゃうんだよね。
 お茶で口の中に残ったパンくずを流す。あたしよりずっと早く食べ終わっていたナノは、向かいの席からまた、もの言いたげな目で見てくる。
「……やっぱり距離を感じるなあ」
 あたしは立ち上がった。長くまとわりつくスカートでもほらこの通り! 移動はスムーズに行えます!
「わっ、ちょ」
「あ、なんで逃げるの! 待て待て、必殺技だよ。なんたってここでしか見られない超レアもの。掛かっとかないと大損だよ」
「口上の前提がおかしいわ!」
「もっと近づいて説明してくれないと蓮子ちゃん分かんなーい」
「寄るなってば!」
 年頃の乙女になんという。毛を逆立てて威嚇するナノに、あたしは手をわきわきさせた状態のまま立ち止まる。
「……分かってるよ。昨日の話があったからでしょう?」
「え」
 虚を突かれた、そんな表情。
 うん、分かってるよ。分かってるから。
「隙あり!」
 そのタイミングを見逃さず、即座に飛びかかって首を極める。一拍置いて、ナノは叫んだ。
「痛い痛い痛い!」
 舐めてもらっちゃ困るな! 熾烈な姉弟喧嘩で磨きに磨かれたこの技、受けて立つが良い。
「本当に女かお前!」
「あー、なんで外すの!」
「いや自己防衛だろ……」
 え、まじで外されちゃったんだけど。状況が見えない。だってヨウちゃんは絶対これ抜け出せないのに。こいつあたしより力どんだけ強いわけ。
 腕力が憎い。
 あたしの指を無惨に引き剥がし払いのけて、ナノはげっそりとした顔でため息を吐く。それから息を漏らして、微かに笑った。
「……ま、ハスはハスだしな……」
 よし。
「んー、なんか言った?」
「なんでもねーよ。っていうかお前、予告なしにおれに触るの今度からやめろよ」
「なんで?」
「良いから、絶対だからな!」
 真剣に言い聞かせてくるナノ。先程首を絞められた余波なのか、頬が赤く染まっている。
 えー、良いじゃん。年頃の女の子と触れあうなんて「どきっ! あ……手が……この胸の高鳴り、あたしもしかして」的な恋の王道イベントじゃん。
 それをナノに言うと、お前……とがっくりうなだれられてしまった。
「ハス様、皆様いらっしゃいましたけど。お通ししますよ?」
「あー、うん。そうだね、ご挨拶しなきゃね」
 ……えっと、まあ良い、後ろでなにやらぶちぶち言ってる赤毛は放っとこう。ピーチュも生温い視線で赤毛を見ている。
 名目従者は置き去りにして、ちょっとした玄関スペースのようなところまで足を運びながら。
 うーん、ちょっと宣言するの早まりすぎたんだろうか。でもなあ、隠しとくのも誠意としてどうかと思うしなあ。理想論だったか? でもそれ以前にあたし一人で進めるにも限界があるし。
 さてアサキオとジギリスは――。
 ん、声が一つ多い?
「あれ、ラタム。今日もいるの?」
 おはよー、と声を掛けにいったところで銀髪エルフに遭遇し、あたしは首を傾げる。
「おはよーございまーす、ルディカ?」
「おはよう、ハス」
 銀の後ろから、ふざけたように手を振るジギリスに、目元を優しくするアサキオ。
 ――ああ、大丈夫だ。
 ちょっとほっとした自分がくすぐったい。あたしはラタムに向き直る。
「まずは挨拶だろう。おはよう」
 はいはい、お兄ちゃんは今日も変わらず、安定の口うるささだね。
「おはようございます。で、なぜに?」
「以前から言っていただろう。今日は神殿で会合があって、私は一日留守にする」
「ああ、そういえば。ってことは今日も授業休みなわけか」
「何冊か本を見繕ってきた。やる気があるなら読むと良い」
 そう言って、ラタムは持っていた本をあたしに突き出してくる。え、これあたし用なの? この人はいつでも読めるように常に一、二冊は持ち歩いてるから、てっきり今持ってるのもそうなのかと思ってた。
「ニゲルに重点を置いたものだ」
「……そっか。ありがと」
「それほど難しくない、お前の理解力程度でも理解できる基礎的なものを選んだつもりだが」
「それはどうもご親切に」
 このやろう。
 そんなに頭悪くないよ! たぶん。
 ぱらぱらとめくってみる。が、がくじゅつしょってやつですねこれは。
「うげ、文字多い……」
 思わず漏らすと、ほれ見ろといったように鼻を鳴らされた。
 このやろうめ。



 祈りの時間を終えて部屋に戻ると、ピーチュが小さなカードの群れと睨めっこをしていた。
「なにしてるの、モモちゃん?」
「あ、お帰りなさい、ハス様。ええとですね、そろそろお知らせしようと思ってたんですが……」
 なんだなんだ。にっこり笑って唇の端に指を当てるモモちゃんに、あたしは少々顔を引きつらせる。え、お説教ですか?
 こちらにどうぞ、と促されるままに、小卓の前へ。あたしが腰掛けると同時、ピーチュは机の上にどさどさカードを落とした。
「招待状?」
「はい。お披露目が終わりましたからね、それはつまり、貴族がたや神官がたの取り入りが始まるんです」
 き、ぞ、く。
 ……なんだと?
「取り入り?」
「取り入りです。皆様、少しでも他の方々より良い位置に就きたいんですよ。ルディカは王族と同等に置かれますからね。口利きしてもらえれば良いなあ、ということです」
「それは、なんというか……」
 ルディカって偉いんだよね! 納得したくないね!
「まあ、さほど気にしなくても良いですけど。流石に地位が欲しいなどと直接口に出すのははしたないですから、あちら様も回りくどくこられますし、見えない振りをしても大丈夫です」
 しれっと言うモモちゃんに思わず乾いた笑い。そういうのはね、慣れてたらできるだろうけどね、あたし一般庶民だからね。断固として主張する。
「今回はこれでも少ない方らしいんですよ、お披露目の直後としては」
「ええー……これで?」
「前回のことがありますし……。ニゲル様は、貴族の方々とのおつきあいが得意ではなかったようでして。それも例の、結末の……原因の一端にはなったのではないかという、話です」
 ちょっと言葉に詰まった。
 あたしはこれまで全然、貴族とかのことは考えなくても良かった。本当なら、もっと王家の方々や各界のご歴々との会食だとか、おつきあいがあるものらしい。あたしは、それらを免除されてきたのだという。
 失敗を繰り返さないために。
 ……腫れ物に触るかのように。
「そっか。ええと、モモちゃんはどう思う? こういうお誘いって出とくべき?」
「そうですね……全てに参加する必要はないです。でも、基盤を作る意味では、いくつかには、とわたしは思います」
 例えばこちらとか、と指し示される。知らない名前。いや、挨拶された中にこんなのいたような……? うわあ、こんな状態だよ、超不安。
「歴代のルディカにも貴族らに全く関与なさらなかった方はいらっしゃいますけど。ソニア様とか」
「あ、そんなもんなんだ。だったら」
「ですがその場合、やはり心象が悪くなるのは避けられないので、わたしはあまりお勧めしません」
 だ、駄目か。駄目なのか。
 上目遣いに見上げる。ピーチュはリズム良く指を動かして、思案しているようだった。
「ハス様がこれからこちらでずっと生活していく上で、追々後ろ盾も必要になるでしょうし――」
 中空を彷徨っていた彼女の視線が急に定まる。はっとしたように、彼女は口を噤んだ。
 ふっつりと途切れた言葉が、存在感を持ってぶら下がる。
「……申し訳ありません。ハス様は、お帰りになるのです、よね」
 恐れるように発されたそれ。あたしは息を飲む。
「申し訳ありません、ハス様。ごめんなさい!」
「いや、モモちゃん」
「わたし、これまで考えてもみなかったんです。ハス様にも、ちゃんと生活があったんですよね。家族や友人や、大切なものがあったんですよね。昨日、あの場で言われるまで、全く気がつかなくて……。わたしったら、考えなしにルディカだとはしゃいでしまって……本当に申し訳ないと」
 綺麗に結い上げられたお団子が震える。
 ああ、この子は、とっても良い子なんだな。そう思った。
 言葉を途切れさせた彼女に、どうしたのかなー、と暢気に考えていた自分が情けない。その上、謝られて、失敗したと反射的に思ったのが姑息だなあ。
 真っ直ぐな感情は、怖いよ。
 でも。
「ピーチュ、あのね」
 あたしは深呼吸する。
「そう言ってくれて、ありがたいよ。それだけで」
 言葉が通じているのに、通じていない。ずっとそう思ってきた。ルディカ、至高なるルドゥキアの使徒。そう言われて、保護されて。
 あたしは謝らない。謝ってはいけない。あたしは帰りたい。この世界の伝説と、この世界の人達と、相入れないこと。それを主張するなら、謝ってはいけない。
 なんであたしだった? なんで他ならないあたしを連れてきた? それを責める気持ちがあるから、尚更。
 ――でも。それでも、ちゃんと、ちゃんと、こうやって分かりあえるよ。話して、仲良くなって、相手を理解できるようになるんだよ。
 あたしは意識して唇の端を上げてみせる。
 そうしてピーチュを見たら、ゆっくり顔を上げた彼女の大きな瞳に、涙の膜が張っているのを、直視してしまった。
 ちょっとちょっと! この子、昨日から情緒不安定なんじゃないの?
 昨日呼び出されたっていう伯母さん、そんなに怖かったのかな……。
「苦手なんです、あの方」
 低い声でモモちゃんは呟いた。ろくなこと考えてないですし、と唇を曲げるピーチュも可愛い。うん可愛い、けど、本当に嫌いなんだね。まあ、気持ちは分かるよ。難しいよね、親戚づきあいって。二人、頷きあう。
「で、これらは結局どうすれば良いのかな」
 広げられた多種多様なカード達を見下ろす。大げさに眉間にしわを寄せると、ピーチュはやっとくすくす笑ってくれた。
「ハス様のしたいように、どうぞ」
「え? それで良いの?」
「色々と言いましたが、それも一つの意見、くらいに考えて下さい。ルディカが真に望むことには、どなたであっても文句は言えないんですから。いいえ、文句を言わせてなるもんですか」
 ですからお好きに、と、そう言ってピーチュは拳を握りしめた。
 ……いやいやいや、なに張り切っちゃってんの、この子ときたら。本当にもう。あたしは笑った。
「そう言われると責任重大だなあ。うーん、じゃあ、ちょっとずつ教えてくれる? あたしまだ全然分かんないし。偉い人とか、家系とか、さっぱり」
 本来教師役はラタムなんだけど……いや、あいつに人間関係とか聞く気はないわ、全く。
「つきあう相手を考えるのは、まだよく分かんないし――今回は、できるだけ断ってほしい。どうしても必要だと思うのだけ一緒に考えよう。……だいぶゆっくりになるけど、大丈夫かな」
 どう? と問いかける。モモちゃんは素晴らしい笑顔で頷いた。
「任せて下さい! わたし、当たり障りのない受け答えは得意なんです」
 それはどうなの。
「じゃあ、暫くは、勉強中って言い訳で乗り切りますね。大丈夫です、上手く印象を操作しますから――」
 生き生きと話し出すピーチュに圧倒される。いや、あのね、まくしたてられても。この子敵に回すと結構怖い?
「それで、このお家なんですけど!」
 ……まあ、楽しそうだから、良いかな。

2012/02/18


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