あかいろ1



 あたしが何度目かのため息を吐くと、ラタムも幾度目かにうんざりした視線を向けてきた。
「……ちゃんと静かにしてるじゃん。別に読書の邪魔はしてないよ」
 ため息だってどんなに音量を抑えていることか! もう、口に出してはあああって言ってやろうか。
「そう主張したいならまずその鬱陶しい顔をやめるんだな。部屋が辛気くさくなる。全く、本に湿気は大敵だというのに」
 あたしはじっとりとラタムを見つめた。
 今のってジョークか? ジョークのつもりなのか? こいつの冗談って分かりづらいんだよな。それでもって別に理解を求めている風でもない。なんなんだ。なんのためにふざけるというんだ。
「大体、一人でここまで来るのはやめろと言っただろう。ちゃんと供をつけろ。そんなことも守れないのか。いつまでも意地を張っているのではない」
 だって、隊長二人はなんかやだし……ナノともまだ仲直りちゃんとしてない。謝ってない。そりゃあ毎日会うからそこそこ喋ってはいるけど、どこかお互いに壁があって、もやもやして気持ち悪いままだ。探りあいは疲れる。
 時刻は正午を過ぎたところ。ナノが戻ってくる前に、とピーチュに頼んで早めにお昼ご飯を食べさせてもらって、あたしはラタムの自室にいた。授業で何度か来たことはあったから、道順はばっちりだったのだ。
 なまじ行き方が分かるもんだから、ピーチュの目を盗んで部屋を抜け出してふらっと来てしまう。……そして怒られる。いつものパターンだ。
 ピーチュも最近厳しいんだよな。やっぱり体面がどうとか、あるのかな。大事な聖女様が一人でふらついてるのは良くないって?
 でもあたしだってたまには一人で歩いたって良いじゃない。良いでしょう、あたしはルディカなんだから、なにをしたって。
 そう皮肉な思いで考える。自虐的になっている。良くない傾向だ。
 ジギリスと話した夜から一週間が過ぎようとしていた。
 ここ数日は驚くほどなにもなかった。なんだか忙しいようで、アサキオもジギリスも部屋に来ることが少なくなっていたのだ。ナノとは前述の通り。ぎくしゃく。
 まあ来たとしてもあたしはラタムとらぶらぶしてるのでいないわけだけど。お部屋に入り浸り。
 ジギリスとのことはラタムに話した。アサキオのことも色々端折ってはいたけどちょろっと。あの幼馴染みだっていう女の子のこととか、ちょっと省略できなかったし。
 そうしたら、それを私に言ってどうしようと言うんだ、って頭を抱えていた。まあ良いじゃん、つきあってよ。
 ちなみにラタムはアサキオの婚約者のことは朧気にしか知らなかったそうだ。鼻の頭に皺を寄せてそういえばそんな話もあったようなと言っていた。呆れる。流石はエルフ、人間界などに興味はございませんと。ちょっと安心したけど。言わないけど。
 で。あたしがなにをしているかというと、ひたすらルディカの勉強だった。ああ、あの森行きの日が凄く昔に感じる。
 当初はあたしの前のルディカ、第七聖女ニゲルのことだけを調べようと思っていたけど、ジギリスの話を聞いて、それだけじゃすまなくなった。
 ちょうど授業が最初の聖女の時代に差しかかるところだったこともあって、ラタムにせがんでルディカ出現ポイント抽出でのアウトラインを聞き出して、あとは選んでもらった資料を読み進めている。
 こうやってなんだかんだしてくれる辺り、結局この人はあたしに甘いんだと思う。っていうかあたしがどうこうっていうより実はお人好しなんじゃないか。怖いから言わないけど。人づきあいの嫌いなお人好しって。
 こっそり笑って、ぱらぱらと本をめくる。
 本当は、あんまりこんな文章読み進めるとか得意じゃないんだけどな。そんなこと言ったらはたかれそうだ。
 ――それに、自分と密に関わってくる所為か、危惧していたほど興味は途切れなかった。まあ、あたし元々歴史好きだしね。
 そしたらまあ、出るわ、出るわ。そういう赤裸々なのを選んでくれたんだろうし、まあぶっちゃけ個人の日記とか多くて、どうにも記述自体上品とは言いがたいんだけど。
 ラタム自身、真実がどこまでかは確認できないと注意してはいた。でもね、それにしても限度ってありませんか。
 火のないところに煙は立たぬって思わず呟いてたら微妙な顔をされた。うちの国のことわざです。
 まず、最初のマリエ嬢からして凄かった。わがまま言いまくりじゃん、このお姫様。衣食住、贅沢を尽くして、それがルドゥキアのご意志だとか言って。
 そういえばベルが四人の由来もこの人なんだよね。結婚している人すら、自分が惚れたら別れさせて、最終的に傍に置いていたのが四人だったとか。……これ、幸せなの? 明らかに嫌々じゃん男の人達。
 二代目サフェーレのあだ名は女帝。うん、女帝。あれ、ルディカって聖女じゃなかったっけ。隣国とやりあったりとか、そんな権力権力してて良いんだっけ。
 この人はハーレム作ったそうです。ベルは前例に則って四人だったけど、実際には相手したのはそんな数じゃないとか。女の子も食ったらしいね。
 三代目と四代目は王道パターンって感じかな。彼女らについては褒め称えられていることが多い。まあ不美人だとかはあったけど。悪かったな、あたしは十分に美少女だと思ったよ!
 前も聞いたけど、キゼリは色んな人――この子、ベルからしてそうそうたるメンバーだった。王弟で武道大会優勝者な人、隣国から来て一目惚れしたこっちも王子の人に、最年少で神官長になった天才、どうも堅気と賊のすれすれいってたらしい海運王――に求婚されたにも関わらず、異民族の青年と恋愛して帝国を出て行っちゃった。小さい民族だったらしいのに、よく潰されなかったな。
 お次のダンデリアの時代は帝国が滅んで混乱していて、仲間を集って建国。
 当初は決して大きくはないささやかな国だったみたいだけど……この大国、デイモールの前身だ。
 ちなみに地図を見比べて気づいたんだけど、今現在のデイモール王国の領土は、結構かつての帝国と被っていて、なんとなく形が似ている。ちょっと気持ち悪い。
 五代目ソニア。この子はずっと帰りたいと言い続けていた、だいぶ気の弱い子だったみたいだ。彼女の記述を残していたのはベルの一人で、でも彼女が嫌いだったみたい。現実を見ようともしないで嘆くばかり、ときつい調子で書かれていた。ちょっと心に刺さった。
 ただ、彼女のそんな部分が好きな人にはたまらなかったみたいで――「僕が守ってあげなきゃ!」だそうだ――、二人のベルから求婚され、どちらも選べず両方と婚姻。いや、ちょっと、ええええ! なんだそれ!
 六代目グズマは……ここに、ターレン家の問題があった。ジギリスの。ピーチュが言ってた、あなたも結局ターレンっていうのが……。
 ターレン家出身のベルは、聖女であるグズマを裏切ったのだ。
 別のベルの元婚約者が、婚約解消されたのはルディカの所為だと言って、グズマを害そうとした。彼はそれに荷担した。
 結局その彼女の婚約者だった男、彼女と別れベルとなったその彼が、不穏な動きを察知してグズマに注進、企みは成る前に暴かれたわけだけど。その事件後すぐに、グズマはそのベルと結婚している。
 そもそも、グズマとそのベルが早々と恋仲になっちゃったから、元婚約者のご令嬢は余計に恨みを募らせた、ということだったらしい。まだ、ただのベルの一人であるなら耐えられたのに、と、これは捕らえられる直前にご令嬢が叫んだ言葉だ。筆致はご令嬢に手厳しいけど――あたしは、気分が暗くなった。
 ほんのちょっぴりだけ、本の後ろの方に「悪役」達の末路が書かれていた。元婚約者のご令嬢の家は取り潰し、ターレンも、本家は実質的には潰されて、分家が新たにターレンを名乗った。今のターレン家はだから、本当の意味での本流ではないのだという。
 そして七代目、自殺したニゲル。彼女の記録は、本当に残っていない。ただ三のベルの妹と仲が良かったみたいで、その子が従姉妹に送った手紙――研究者が何年か前に息子さんに譲ってもらいに行ったらしい貴重な資料――には、ちょいちょい、ニゲルとこういうことして遊んだ、みたいな記述が見えた。
 ニゲルというのは随分と人見知りをする少女であったらしい。ニゲル自身は多くを語らなかったようだが、家族と上手くいっておらず、友達もいなかったらしいことが窺えたという。心ない人というのはどこにでもいるものだ、と記された憤りに、この書き手は善良な人だったんだろうなと思う。
 最初はそうして黙りこくっていた少女も、この妹さんや、なによりベル達の優しさに触れて、だんだんと心を開いていったようで。
 けれど彼女は命を絶ってしまうのだ。
『どうしてこんなことになったのか、わたくしには分かりません。分からないのです。ニゲルが最近塞ぎ込んでいるのは知っていました。どうして問わなかったのでしょう。どうして悩みを聞いてあげなかったのでしょう。
 兄もまた目に見えて消沈しています。他のベルの方々も、さほど親しくもなかった一の方まで落ち込んでいる風なんです。
 一等酷いのはあの方ですね。当然のことですけれど。
 ああ、あの子は、わたくし達がこんなにも悲しむのに、それを考えてくれなかったのかしら?
 ねえ、あなたなら分かって下さいますよね。わたくしはとても悲しいのです。どうして、と繰り返し続けて。駄目ですね、こんなことでは。わたくしがしっかりしなければ。ごめんなさいね』
 ……震える筆致。あたしまでつらくなってくる。
 次の手紙には、まず最初に、〈穴〉が広がっているらしいことについては調査中だと念押しされていた。人心が混乱していく様がうっすらと窺える。
 対外的には、ニゲルは「殺害された」ということになったらしい。城内に侵入した賊がそれを行ったのだと発表され、実際にその男を送り込んだとしてある盗賊団が討伐された。
 うーん、どうもこの侵入した賊ってのが事件に前後して処断された人なのかな。本当に侵入してたのかなんて、この場合どうでも良いんだろうなあ。
 スケープゴート。非難の矛先が必要だった。
 けれど、人の口に戸は立てられないのだ。ニゲルの死は様々に脚色されて王宮内を巡ったようだが、皮肉なことに、その多くがひとかけらの真実を――彼女の自死を言い当てていた。
 それが暗黙の了解として、現在に至るわけだ。
 あたしは頬杖をついた。
 一代から六代までは、要素要素だけを見れば、まあおとぎ話に見えなくもない。お姫様は王子様と幸せに暮らすのだ。姫がどんなに性格悪くても、常識外れでも、関係ないみたい。ただ「ルディカ」であれば、それで。
 ニゲルは幸せにならなかった。シナリオ通りには進まなかった。
 だから、〈穴〉が広がった――ニゲルによって一度塞がれたはずのところまで、更に大きくなって現れた。
 ジギリスの言ったことをそのまま鵜呑みにするってわけじゃないけど、今のあたしには、反論が思いつかないこともまた、事実だった。

2012/05/05


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