二人の女官を部屋に残して、あたしはリアと共に兵舎へと向かった。 前を歩くお嬢さんが足音も高らかにずんずん進んでいくのは、なにかやはり怒っていらっしゃるのでしょうか……? 駄目だ、さっきのすかぽんたんの衝撃が薄れない。黙っていれば、妖精みたいで神秘的な女の子なのに。すかぽんたん。 「あら、ごめんなさい。ついつい気持ちが先走ってしまって。ハスは病み上がりなのに」 「えっ、あ、いや大丈夫だよ!」 ぼんやりしてたのはそれが原因じゃないんだ。そこじゃないんだ。 首を傾げるルメーリアの、明るい緑の瞳をまじまじと見る。 うーん、すかぽんたん、かあ。 「え? なにか言ったかしら?」 「ううん、ナンデモナイデス」 「そう? でも、もうちょっとゆっくり歩くわね」 「ありがとう」 兵舎に行くのは、ジギリスに連れられて訓練を見学しに出かけた、あの時以来だ。いや、近くを通りかかるくらいはあったんだけど。 なんというか、男性中心社会って感じで、近づきにくい。女の人の兵士もいるけどさ、でも、ありていに言ってしまうと、むさいんだよね! そんな中をルメーリアは、あたしが躊躇うくらいに、堂々と先導していった。かつかつヒールが鳴っている。うん、いや、良いの? あたし達めちゃくちゃ注目されてない? 「ルディカ……?」 「あの……」 ぎゃああすいませんすいません! 向こうも困惑してる! すっごい困ってるよ! ちょっとちょっとリアってば! 「あら、丁度良かった」 ルメーリアは不敵に微笑んだ。うん、分かってたけど、察してはいたけど。あなた、そういう性格なんだね……。ちょっと顎を持ち上げて、威圧。凄い様になってるよ。ターゲットにされた気弱そうな兵士さん、ごめん。 「ルディカの侍女の方、どちらにいらっしゃるか、ご存じ?」 「えっ、いや、それは」 兵士さんが視線をうろつかせたのを捉えて、「そう、あちらの方ね」とルメーリアは呟いた。貴族女子って怖い。 「いやいやいや! 駄目ですよ! 止まって下さい!」 「嫌ですわ」 「ごめんなさい!」 あたしはぺこりと頭を下げて、止めようとする手を逃れて走った。相手は兵士、本気でこられたら敵わない。まだ皆さん混乱してる、今のうちがチャンス。 「る、ルディカ!?」 「ごめん! すいません! 通して下さーい!」 あの小さい建物だ。きっと、あそこに、モモちゃんがいる。 「――ハス?」 声がした。 びくりと肩が揺れる。止まりかけた足を、必死で動かす。 「と、リア? え、なにしてる、こんなところで」 「あら、アサキオじゃない。ごきげんよう」 あっという間に近づいてきたアサキオに、ルメーリアが立ち止まって相対した。アイコンタクトで、行って、と促される。あたしは頷いた。全速力で走る。 「ちょっと待て、そっちは」 「あなたこそ待ちなさい! ちょっと私、今度ばかりは堪忍袋の緒が切れたわよ!」 「なにを怒ってるんだ。あ、ちょっと、ハス!」 聞かない振りをして、あたしは目的地に走り込んだ。入り口で番をしていた兵士がのけぞる。あたしは肩で息をしながら、問いかけた。 「ねえ、ここにピーチュがいるんでしょう?」 「えっ、まさか、ルディカ……?」 「あたしの侍女、ここにいますよね? 会わせて下さい! お願いします!」 「うわあっ、すみません、顔を上げて下さい! ルディカにそのような」 「お願い、中に入れて下さい。あの子と話がしたいんです」 兵士のお兄さんは、外の混乱と、リアに言い募られるアサキオと、あたし、その三つを見比べていた。 「ですが、ルディカ、それは……」 「むちゃ言ってるのは分かってます。でも、譲れないんです。中に入れて下さい」 必死の形相で見上げた。あーあ、たぶんぶっさいくな顔してるんだろうな、今のあたし。 お兄さんは唾を飲み込んで、それから――。 あたしの目の前に、暗い穴が口を開ける。 「ルディカの仰ることですし、ね」 「ありがとうございます」 そう、ルディカに逆らってはいけないんだよね。あたしは笑顔を作ったが、眉根が寄るのを我慢できなかった。特に下っ端の兵士とかなら、逆らうなんて考えられないだろう。嫌な気分だ。でも、これを期待していた。 あたしは廊下に足を踏み入れた。昼間なのに、光がほとんど差し込んでいない。でも、湿っぽい地下牢とかに閉じ込められてたらどうしようって心配してたから、それよりはましかな。 廊下の先に、扉があった。イメージしていたような、鉄格子のある牢屋ではない。でもその扉はとても小さくて、あたしでも、かがまないと入れないくらいのサイズだった。 扉には鍵が掛かっていたけど、覗き窓があって、そこから室内の様子を窺えた。 「モモちゃん」 椅子だけがぽつんと置いてある、殺風景な部屋だった。ピーチュは座って、目を閉じて、無表情な横顔を見せていた。縛られたり、繋がれたりはしていない。良かった。 「モモちゃん、ピーチュ」 もう一度呼ぶと、彼女の瞼が震えた。ゆっくりとまばたきをして、その瞳がこちらに向けられる。 「は、す、さま……?」 「うん、あたし」 「ハス様、そんな、どうしてこんなところに」 凄い勢いで立ち上がり、金髪少女が寄ってくる。慌てた顔。ああ、モモちゃんだなあ。 せいぜい半日振りってとこなのに、もう何週間も、会っていなかったような気がした。 扉を隔てている所為で、お互いの声が聞き取りづらい。あたしは精いっぱい声を張り上げた。 「モモちゃんと、話をしに来たんだよ」 「話、ですか」 「うん、そう」 「話なんて……そんなもの、ありません」 「モモちゃんになくても、あたしにはあるもん」 ピーチュは俯いている。諦めたように息を吐いた。音は聞こえなかったけど、たぶんそう。あたしがぽかやった時、ナノと一緒に騒いでる時。いつも、しょうがないな、ってため息を漏らしてたでしょう。モモちゃんの仕草は、よく知ってるんだよ。 「なにをお聞きになりたいのですか」 「なにもかも。知ってること全て。ねえ、あたし納得できないよ。どうしてモモちゃんが捕まるの? モモちゃん、悪いことしてないでしょ? そうだよね?」 「……どうしてそうと分かります? あの者達を手引きしたのは、わたしの身内なんですよ。どうして、わたしが関与していないと言えますか?」 「分かんないけど、でも」 「確証のないことを無闇に口にしないで下さい!」 ピーチュが叫んだ。首を振って、扉から離れようとする。待って、行かないで。 「だってピーチュ、泣いてたじゃん! あたしのこと見て、泣いてた。一晩ずっと、看病してくれてたんでしょ?」 ピーチュの動きが止まった。そして、その可愛い顔が歪む。 「そんな、そんなこと」 「あたし分かってるんだからね。ピーチュのこと、ちゃんと分かってるんだから。ピーチュはそんなことできる子じゃない。あたしのこと心配してくれて、ちゃんとこの世界でやっていけるようにって、色々教えてくれたり、したじゃん。それが全部嘘だったなんて思えないよ。思いたくない」 これは、あたしの願望に過ぎないのかもしれない。裏切られたくない。裏切られたなんて信じたくない。 「ピーチュは関係してない。そうだと言って」 お願いだから。 ピーチュは暫く押し黙って、震えていた。薄暗い場所に既視感を覚えた。あの目覚めた時、泣いていた彼女。 「……そういえば、伯母さんのこと、嫌いだって言ってたよね」 「嫌いです、あんな人」 「そっか」 「嫌いなんです。ばかなことばかり考えて、権力を欲しがって。でもこんな、恐ろしいことを、本当にするなんて」 ピーチュは苦しそうに言った。でも申し訳ないんだけど、あたしはほっとした。ほらやっぱり、この子はあたしの知ってるモモちゃんじゃないか。 「じゃあモモちゃん、あたしのことは、嫌い? 本当は殺したいほど、憎んでた?」 「そんなことありません! そんなのあり得ません!」 「だったら、良いよ。あたし、元気だし。優秀なベルや兵士さん達に助けてもらって、優秀な侍女さんと女官さんに看病してもらって、もう全然元気」 「ハス様……でも、でも、わたしは」 ピーチュは力なくうなだれた。 「でも、わたし、知っていたんです。伯母達がなにを考えていたのか。わたしも協力を求められたのは、本当なんです」 深い後悔を感じさせる声だった。 「伯母の家は少し前に没落してしまって、今はほとんど力がないんです。それが不満だから、ルディカをさらって、昔のような地位を取り戻すのだと言っていました。そんなこと不可能だと思いました。王宮は守りが堅いですし、しかもルディカはこの国の宝で。権力もないあの家に、他に協力する人がいるなどとは思えませんでした。ふざけた狂言だって、現実味のない夢ばかり見てって、そう思っていたんです」 「……モモちゃんは、そんなの聞かなかったんでしょ? 協力しないって言ったんでしょ?」 「そう、確かに、わたしは断りました。ばかばかしいと言いました。深く考えもせずに。そうですね、確かに、この国の貴族に、他に協力者はいなかったようです。計画だけ立てて、夢想して、そういう可哀想な人達だからって、わたしは目を瞑ったんです。まさか、本当に実行するなんて。しかも、ルディカを他国に売り渡して、それで高い地位で取り立てられようなどと! そんなに恥知らずな人達だったなんて、思いませんでした。……わたしがいけなかったんです、ハス様。わたしが、荷担する振りをして、もっと内に食い込んで、内実を探っていれば、ハス様はあんな目に遭わなかったのに」 「モモちゃん」 「ハス様が他国に狙われているかもしれないという話を聞いた時、囮を用意すると聞いた時、その時々に、伯母達のことが、頭を掠めなかったとは言いません。そうです、どこかで、ちらっとは考えたんです。でも、それでも、わたしは……。違うと、自分に、言い聞かせて」 「もう良いよ、ねえ」 「恐ろしかったんです。そんな、あり得ないことが、起こるはずがないと思い込んでいました。伯母達だってこのデイモールの貴族の末端なのです。そのプライドをどぶに捨てるような真似は、まさかしないだろうと思いたかったんです。でも、あの時、捕まった賊の中に、知った顔がいて」 「ピーチュ、モモちゃん、もう良いよ。あなたが気にすることじゃない」 「いいえ、いいえ。例えハス様が許しても、わたしは」 ピーチュはしゃくりあげた。 「わたしは、自分のことを、許せません……」 やだ。嫌だ。こんなの駄目だ。あたしは必死に声を絞り出した。 「ピーチュ、そんなの嫌だよ。戻ってきてよ。あたし、モモちゃんがいないと駄目だよ。やってけない」 この異世界で、初めてできた、友達なんだ。 モモちゃんは息を詰まらせていた。笑顔を作ろうとして、失敗して。それから、いつものようにぴしっと姿勢を正した。 「ハス様、情に流されなさいますな。あなた様は、他に代わりのなきルディカであらせられるのですから」 「でも」 「いいえ、いけません。計画を存じておりましたにも関わらず、軽挙にもご報告いたしませんでした。わたくしには、申し開きようもございません」 「モモちゃん、嫌だよ」 「――そんな顔しないで下さい、ハス様。わたし、こうやって、ハス様の同情を得ようとしているかもしれないのですよ? つけこまれてはなりません。信じて下さって、ありがとうございます。それだけで、わたしはじゅうぶんなんです。ですから」 彼女はゆっくりと頭を振った。たおやかで優しい動作は、しかし、強制力を持っている。 「お元気そうな姿を見られて良かった。そこまで惜しんでもらえて、ハス様に悲しんでもらえて、それを喜んでしまうわたしを、どうかお許し下さいね」 なんだよ、真っ青な顔しちゃってさ、なに言ってるの。なんなの。 ああ、どうしよう。行ってしまう。 「また、会いに来るから!」 あたしは叫んだ。 「モモちゃんが考えを変えるまで、通い詰めてやるんだから!」 「いいえ、こんなことは二度とありませんわ。わたしは場所を移されるでしょうし……。それに、わたしの大好きなハス様は、嫌がる者に無理を通すようなお人柄では、ありませんもの」 ピーチュは深く一礼して、今度こそ、扉の傍から離れてしまった。がんがんドアを叩いても、決して、振り返ってはくれない。 そんなの。そんなこと言われたら、なにも言えなくなっちゃうじゃないか。
2014/03/30