フラグチェックともの思い1



 王宮から馬車に乗り、街中の喧噪を通り過ぎてひたすら西へ。
 馬車が嫌でへばっていたら、一緒に乗り込んでいたナノが、窓の外を見るよう示した。草を食む家畜と点在する茂み以外には遮るものなどない平原。遠目にきらきらと、湖が光っていた。あたしは歓声を上げた。
 湖のほとりに、やがて見えてきた。
 まず認識したのは木々のかたまりだった。森や林というほどでもない、ささやかな緑に過ぎなかったけど。それでもだだっ広い平地の中で、それは突如ぽっこり盛り上がるように出現したかに思われた。人工的に、建物を取り囲むように植えられたのだと、ラタムが解説してくれた。
 その木々に埋もれるようにして、レモコワ離宮は建っていた。綺麗に塗られた赤茶の屋根が、枝葉の間から覗いている。
 離宮なんていうから、どんなたいそうなものなのかと半ばびくつき、半ば楽しみにしてたんだけど、あたしの想像と実際の建築物は、だいぶかけ離れていた。
 なんていうかな、宮城って感じじゃなくて、家って感じなの。いや、それでも豪邸には違いないけど……。王様や貴族が住まう瀟洒なお城というよりは、ただお金持ちが家族団欒を過ごす別荘に見えた、というのが正直な感想。
 装飾はあまりなく、印象としてはシンプルの一言に尽きる。とはいえ、屋根の茶色や外壁のごく淡いクリーム色など、全体が柔らかく暖色でまとめられているので、寂しい感じはしなかった。庭や鉢植えに咲く多様な花々も、場に彩りを添えていた。大きくゆったりとした建物は、内部もさぞかし広いのだろうなあ、と窺える。
「九代前の国王が、寵姫のために造ったらしい。敷地内には、お遊び用の花壇や簡単な畑も残されている。湖で使っていたようで、婦人用に軽くした古い釣り竿などもあるそうだ」
「うわあ。そう聞くと壮大なおままごとだよね……」
「聖女グズマ、ニゲルらもかつて滞在したと記録にあった。とりわけニゲルは王宮よりもこちらの方で、より多くの時間を過ごしたとか。王宮のきらびやかさに馴染めない一方で、この離宮は、彼女の実家に近いものがあったらしく、多少はくつろげたようだ」
「やー、確かに王宮よりは親しみ持てそうだけど、こんなでかい家でくつろげるかどうかはまた別じゃないかなあ」
 ニゲルのお宅って、実は資産家だったんじゃないか。そんな疑惑が今あたしの中で浮上したぞ……。一般的な日本の家はもっと小さいです……。
「ていうかラタム詳しいね。さては予習したな」
「歴史ある建物の一つではあるからな。お前もこういう逸話などは好きだろう」
「好き好きー。ありがとう」
 アサキオ、ジギリス、ナノの近衛兵組は、警備の確認と言って、元々ここに駐留している赤華隊の兵士達と打ち合わせに出かけていった。
 四つある近衛大隊の内、〈赤華〉の隊章ってそういえば王宮であんまり多く見かけないなーと思ってたんだけど、こういう離宮など、国内各地の王族滞在場所の警備が、隊の主な役目だかららしい。隊長さんも王都にいたりいなかったりなんだそうだ。
 ついてきた女官さん達は、我々が滞在するお部屋の準備にかかるとのことでぱたぱた忙しそうに出入りしている。
 つまり、あたしは割と居場所がなかった。それならば、と女官さん達のお手伝いをしようとしたら、ミバヤさんにやんわり拒絶されてしまった。
 というわけであたしは、同じくあぶれたラタムと一緒に、離宮の探検に乗り出したのだった。
 ちなみに今回、ルメーリアはお留守番組である。あたし達が出かけるこの間に、ピーチュと話してみると言っていた。以前の兵舎からは既に移送されたそうで(まあ当然か)、そもそもリアが隠し場所まで辿り着けるのか、そしてそこでどんな話をするのか、実は今、結構どきどきなんである。
 まあ、それはさておき。
 ぶらぶらと歩いてみたところ、離宮の内部もまた、きらびやかに豪華な様子ではないことが分かった。しかしその分、というべきか、数少ない装飾はなかなかに凝ったものだった。
 木彫りの繊細な壁掛けを眺めながら廊下を進む。これ、一連の続き物らしいけど、神話か伝説かなんかかな。この国の人なら見てすぐ何の話か分かるのかもしれないけど、あたしには全然分からん。
「……その辺りはルディカ光臨の場面だが」
「えっ、まじで」
 慌ててもう一度よく確認する。ラタムがため息を吐き、哀れむような目でこちらを見ている。
 あ、この手をかかげてるのがルディカか。あたしのと同じ紋章がある。この周囲の人達は、紋章がぴかーって光ってるのに平伏してるってことか。ということは、この画面の端で、黒い柱のように見えたのがもしかして〈穴〉なのかな。
 次の一枚も、ルディカの続きのようだった。天に掲げる少女の手にはルドゥキアの紋章。後ろに控える騎士のような人達がベルなんだろう。ルディカの見据える先に、前の場面よりも小さく細くなった〈穴〉があった。〈穴〉の消えゆく場面らしく、右半分いっぱいには、お祝いの場面が彫り出されていた。
 木彫り細工の神話はまだまだ先に続いている。しかし次の一枚に差し掛かる前に、一度壁が途切れて、そこに曲がり角がぽっかり口を開けていた。覗き込むと、これは廊下なのか部屋なのか、細長い空間があった。
 壁には肖像画が何枚も連なっているようだ。既視感を覚える並びに、手前の絵を見やる。微笑する金髪の女の子と目が合った。
「あ、ここ、王宮にあるのと同じ飾り方なんだ」
 思い出した。ここにあるのは全て歴代ルディカの肖像だ。
 王宮にもルディカの絵を飾る専用スペースがあり、授業の一環で美術品鑑賞をした時に、ラタムに連れて行ってもらったのだった。ここはあの場所によく似ていた。部屋の造りも、絵の配置も、わざと似せてあるのだろうか。尋ねると、ラタムは肯定した。
「ここが王宮に最も近い離宮だからだろう。ハスも来ているように、ルディカが訪れる可能性は高い。そう予測して、このように作ったんじゃないか」
「実際、三代連続で来てるわけだしね」
 ルディカ達の正式な肖像画を見るのは久し振りだ。
 最近読み漁っていた書物にも、もちろん似姿くらいは載っていたけれど。写真技術が発達しているわけでもないから、単に想像を膨らませた絵だったり、似ても似つかないものだったりもした。
 ここに飾ってあるのは、王宮にあるもののちゃんとした模写みたいだ。見覚えのある構図だった。
 うーむ、あれから色々と裏話などを調べたので、以前と同じ目では見られないな。あの可愛い子もあの綺麗な人も、あんなことやこんなことをやらかしたのかって、ついつい思っちゃう。
 ピンクの唇をたわませて笑む可憐な少女がマリエ。この子が好き勝手わがまま言いまくったとか、好みの男達を周囲に侍らせたとか、なかなかに信じがたいなあ。もろイメージ通りのお姫様って風貌なんだけどなあ。
 サフェーレは迫力のある黒髪ストレート美女様。画面中央に泰然と座し、まるでそこが玉座でもあるみたいだ。帝王陛下の正室でもあったんだっけ。ハーレム作った人ってイメージが強すぎるけど。
 一歩進んで、人好きのする顔立ちのキゼリが好奇心に目をきらきらさせているのにほっとした。求婚されまくったのは絶対この癒やし系の雰囲気のおかげだと思う。この子を不美人とか書いた当時の知識人よ、ちょっとあたしと膝詰めてお話しよう。
 お次の真摯な目をした女の子は、乗馬服姿で、腰に剣を下げている。建国の聖女とも呼ばれるダンデリア。穿いているのもスカートじゃなくてズボンだし、他の人達よりも勇ましい感じだ。
 ソニアは祈るように指を組む。全体的に色素の薄い容姿も相まって、なんとも儚げな風情で、守ってあげたくなる感じはよく分かる。でも男二人と結婚するのはいただけないと思うんですが。愛があれば関係ないですか。そうなんですか。
 その隣にはグズマの、人形のような美貌があった。一人のベルを「敵役」のご令嬢と取りあい、勝利した。筋書きとしてはそんなものだけど、彼女は、またそのベルは、周囲の人達は、なにを考えていたのだろう。
 そして最後、強張った顔に笑みらしきものを浮かべる、先代聖女ニゲルの絵。薄幸そうな印象を持ってしまうのは、彼女の結末を知っているからだろうか。年齢はあたしとそう変わらないはずだけど、大きな瞳の所為なのか、どこか幼く無垢に感じられ、それが聖女らしいといえば聖女らしい。
 こうやって並べて見ると、本当に各種取り揃えましたって感じだよね。むしろ彼女らでハーレムができるよ。くせのある方も多いですが。
 画廊の中央で大きく肩を落とす。あー、ここに混ざりたくないよー。あたしやだよー。
「中央神殿にも同様の廊下がある。やはりルディカに縁の深い場所だからな」
「そんないくつも作るんだ……」
 もうちょっとしたらあたしも肖像画を描こうと言われている。何枚もばらまかれることを考えるとげんなりしてくる。
「神殿預かりの子供らは結構入り浸っているものだ。特に男の子は」
「あーなるほど。憧れの聖女様ってわけね。ていうか、よく知ってるね。あ、ラタムは元々中央神殿の神官なんだっけ」
「それもそうだが」
 ラタムは言葉を切り、戸惑うような視線をこちらに向けてきた。なに?
「私はそもそも、中央神殿に併設された孤児院で育ったから……言ってなかったか?」
 一瞬空白があって、あたしは反射的に叫び返した。
「聞いてないよ! 初耳だよ! なにその新情報!」
 こいつ身内の情とかにも薄そうだなーと思ったことはあったけど、まさか身内がいなかったとは。
 え、ていうか嘘、まじで?
「別段、隠してはいないのだが」
「いやー、だからってねえ。それ知らないのあたしだけ?」
「隠してもいないが、言い触らすことでもないだろう」
「ねえそれ本当に皆知ってんの? 知らないの本当にあたしだけなの?」
 いや貴族の巣窟たる王都だし、まさかね。さすがにね。
「ベルに選ばれる際に、そこも含めて審査はされているはずだ」
「……あー、やっぱ不利な条件なのかな。それを加味しても、神官としての優秀さが勝ったから、ベルに選ばれたとかそういう?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。むしろ家にとらわれないことが選定に有利に働いたのやもしれぬ。四人のベルは多彩であるようにと、選定されるそうだから」
 なるほど。他の三名はそこそこ良いお家のご出身らしいしね。
「といいますか、おい、優秀であることは否定しないのかよ。ちょっとは謙遜しろよ」
「事実は事実だろう。認めずしてどうする」
「うんソウダネ……だからこいつはこういうところがな……」
 ラタムはしれっとしたものだ。あたしはまだまだ混乱しているというのに、こいつは、まるで気にしていないような表情で立っている。
 あたしの顔を見て、ラタムは困ったように眉をひそめた。
「そんなに妙な顔をされるようなことではない」
「仮にも乙女に向かって妙な顔とか言うな」
「私が孤児だと聞くと、そのように妙な顔になる者というのは一定数いるのだが……。おい、なぜ叩くんだ」
「いーえなんでも」
 こいつ意外と周囲に恵まれてるな! なんか凄い納得いくようないかないような!
 不可解だと言わんばかりに、あたしをじとっとした目で睨んだ後で、ラタムはため息を吐いた。ぽつりぽつりと語り始める。
「夜更けだったのかもしれないし、それとも夜明けに近い時間だったのかもしれない。ともかく、赤子の私は、神殿の前に置き去りにされていたのを、朝方に発見されたらしい。……よくあることだが」
「……本当の両親を知りたいとか、思わなかったの」
「調べようと思えば調べられるだろうし、実際そうして、手がかりを求めて神官に聞いて回る者もいるにはいるが……。私は興味がないな。自分を捨てた者を思ってなんになる」
 これは強がりなのか、本当にそう思っているのか、判然としないな。
「だから妙な顔をするなと言っている。本当に、気にするようなことではないんだ。だいたいあそこにいるのは、多くが富裕層の子供だ。下手な扱いは受けない。衣食住には困らず、教育も最高のものが受けられる。その、実際の家というものがどんなものかは知らないが、あそこで育った方がむしろ、私は恵まれていたのではないかと思う」
 天涯孤独というわけでもないのに神殿に追いやられた子供、というのがラタムの周囲には数多くいた。正真正銘の孤児(というのも変な言い方だけど)よりも、そちらの方が孤児院の大半を占めているのだそうだ。彼らはいわゆるワケアリの子供達で、どこぞの貴族とお妾さんとの間にできちゃった子とか、後継者争いに負けた子とかなんだって。彼らを家から出したがる、そうした後ろ暗い人達による寄付で、王都随一の孤児院は潤っている。
 実際、孤児院出身でそのまま神官になる人というのは多く、彼だけが特別な例ではないのだと、ラタムは言った。
 えー、そうは言っても、出世するには後ろ盾とかいるんじゃないの。上に行くのはやっぱり権力闘争あったり、家絡みがめんどくさいって、確かピーチュが言ってたよ。
 そうか、いつだったかモモちゃんが話してた。ラタムは凄いって、そう言ってたことがあった。あの年であの立場で、一定の地位についているのが凄いって。確かこの国に来てすぐの頃だ。あたしは当時、ラタムにあんまり良い印象を持ってなかったので、なんでモモちゃんあんな奴褒めるのって拗ねてたんだけども。
 あたしはもう一度ラタムの背中を叩いた。今度は少し弱い力で。
「あれ、でも。ラタム、名字持ってるよね。ラタム・アギでしょう。それ、家名じゃないの?」
「幼い頃はまだ良いが、一生名字がないのは不便だからな。成人する時に決めるんだ。自分で考える者もいるが、たいていはお世話になった神官などからいただく。私もそうした」
 そう言ったラタムの顔は柔らかくて、あたしはなんだかほっとした。
 そうだよね、ちゃんと、「家族」はいたんだな。
「あっ。ねえ、さっき言ってたじゃん、神殿の男の子達がこのルディカの廊下に入り浸るって。ラタムもそうだったの? ルディカに夢見たりした?」
 わくわくしながら尋ねると、ラタムからは極寒の視線が返ってきました。うげ。
「いや私は別に」
「あーはい、だーよーねー……」
 聖女に憧れるラタム少年、とか想像して、ちょっとにやにやしたあたしがばかだった。そうだよね、ばからしいって冷めた目で見てるタイプだよね。
「絵としてよくできたものだとは思ったが、それを偶像化してもてはやす神経は理解しがたい」
「それ、その男の子達にまさか直接言ってないでしょーね」
「言ったが? そういえば顔を真っ赤にして怒鳴っていたな」
「そりゃ怒るわあほか! こっわいことするなあ。アイドルファン舐めんなよ……」
 やれやれ、こいつに可愛らしい子供時代とか存在したんだろうか。
「いや中身がどうだろうと、きっと見た目は可愛かったはず。写真あれば良いのに」
「なにをぶつぶつ言っている」
「いやむしろ、うちのベル全員分のが見たい。モモちゃんとかリアとかも必要だ。やばいな皆さん絶対天使。ていうかデイモールって本当美形しかいないのばかなの──って、あれ?」
 惰性で足を進めたあたしはふと、この廊下の端に目をやった。ここが王宮の画廊と全く同じものなら、飾られるのは、聖女ニゲルの肖像で最後のはずだ。
 しかし、視線の先にはまだ空間があった。どうやらもう一つ、この奥に小部屋があるらしいのだ。ただ、おかしなことに、そこへの出入り口は正面でなく斜めの位置に取りつけられており、今いる場所──画廊の中央通路──からは、中の様子が判然としない。見えるのは歪曲する壁のみだ。
 あたし達は顔を見合わせ、その部屋を覗き込んだ。
 そしてそれを見たのだ。

2015/09/16


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