「ジギリスを探してたんだが。……うわ、なんなんだこの部屋は」 アサキオは困惑したように言った。視線はすぐに奥の絵に向けられ、暫く、呆然と佇んでいる。良かった、先程のあたし達と同じ反応だ。なんとなく、他人が同じものに同じようにびっくりしてくれると安心するよね。 「僕を探してたって、どうして?」 「え? ああ。ジギリス、お前、まだ打ち合わせが済んでないだろう。勝手に抜けるな」 問いかけるジギリスに答えたアサキオは、大げさに顔をしかめていた。ていうか、おい、ジギリスさんよ。呆れた目で見やると、彼は面倒そうに首を回した。 「僕はもう全部覚えたし。問題ないよね」 「お前はそうでもな。そもそも今回のは俺達のための打ち合わせじゃなくて、ここの駐留兵のためのものなんだ。ただでさえ手間を掛けさせているのに、ちゃんと向こうに気遣え」 「えー、そんな、必要ないところにまでつきあわなくても良いじゃない」 「ばか。お前それでも人の上に立つ人間か」 「上だからこそだよ。あんまりなにからなにまで面倒見たら、逆に萎縮させちゃうでしょ」 「駄々をこねるな」 ぽんぽんと言葉を交わす彼らに、ふっと現実に戻ってきたような気分になる。 「というかお前達、なにをこんな狭いところに集まってるんだ」 「いや、最初はあたしとラタムだけだったんだけど」 確かにアサキオまで来てしまって、本格的に大集合の様相を呈している。ナノだけ仲間外れだな。聞くと、アサキオがジギリスを探しに行くことになり、必然的に、ナノが駐留兵達のところに残されているらしい。 「向こうの責任者が探していたから、ちゃんと行ってこいよ」 「うえ。アサはー?」 「それこそ俺は全部終わらせてきた。良いから行けって」 邪険にジギリスの肩を押して、アサキオは次に、ラタムの方を見た。 「それとラタム。あなたも、一応明日のことを確認したいと、警護予定の兵が言っていた」 「別に一人で構わないのだが」 「気持ちは分かるが、そういうわけにもいかないだろう」 ん、なんの話だ。 「明日って? 街に行くんだよね?」 「私は別行動だ。今更観光もしたくはないし、せっかく城下まで足を伸ばしたのだから、書店に行ってくる」 「えっ、そうなの」 「私は戦えるわけではないし、いざとなると、お前の傍にいても逆に邪魔になるからな。と考えていたのだが」 ここまで言って、再度、アサキオに向き直る。 「あまり警備を分散させるのも良くないのではないか。別に一人で書店に行くくらい」 「だから、さすがに護衛を全くつけないわけにはいかないんだって」 ラタムは渋々「分かった」と答えた。アサキオ、お疲れ様です……。 基本的にラタムは出不精の引きこもりだからな。前に森にお出かけした時も、この離宮に行くと決まった時も、相当嫌な顔してたし。仕事は大丈夫だって王太子殿下が気を遣ってくれていたけど、すいません、この人、外に出たくないだけだから。 「一緒に出かけて、本屋に寄れば良いんじゃないの?」 「私と行くと、長時間滞在することになるが」 「うげ」 なんでだ。本決めて買うだけじゃないのか。 でも確かにうちのお父さんも本が好きで、なんでそんなに本屋で時間使うのってくらい長居するんだよねえ。分からん。 「書店と、あと図書館も一応見て、昼過ぎにはこちらに戻る。お前は一日好きにしてこい」 「ラタム、団体行動って知ってる?」 「神殿で散々やったが」 「ああそうだよね……なんで身につかなかったんだろう……」 自由すぎるだろ。てっきり皆で行けるもんだと思ってたのにさ。 あたしが拗ねているうちに、ラタムは歩き去り、うだうだしていたジギリスもアサキオにもう一度押しやられて、やる気なさそうに出ていった。 こうなると、当然ながら、あたしとアサキオが小部屋に取り残されるわけだ。 ……あれ、これ、二人きりじゃね? 「アサキオは? 行かなくて良いの?」 「もう別にすることはないから」 答えた彼は少し不機嫌そうだ。お、お疲れ、なんですね。 「にしても、この絵はなんだ?」 「ニゲルとそのベルとかみたいだよ。あれ、ジギリスは、この絵のこともこの部屋のことも、元から知ってたみたいだけど」 「うーん、そう言われると、聞いたことがあるようなないような」 死角にある手前の絵の存在にも気づいたようで、近づいて見に行っている。 「どこかで見たような。いや、ここにある絵は知らないけど、人間や風景の描き方というか」 「イーアって人の、らしいけど」 「ああ、それか。イーアか。本当に?」 「ラタムも言ってたけど、そんなに有名な人なの?」 「大神殿の、正面の壁画とかも彼の作じゃなかったか。神殿以外では初めて見た。そうだよな、そりゃあ普通の絵も描いてたはずだよな」 アサキオが納得したように唸る。あたしは彼の横に並んだ。 「ベルだったんだってね、ニゲルの」 「そうだな。確か、ええとだな、彼と終生仲の良かった友人がいるんだが、その男も同じくベルだったそうだ。ベルになったことで知りあったんだとか」 「へ? じゃあこっちのピクニックの絵にもいるかな?」 「そうなんじゃないか。どれがそうなんだ、と聞かれても俺には分からないが。……絵や音楽が好きで詳しいのはリアなんだよ。俺はせいぜい最低限の教養程度しか分からない」 アサキオは言い訳がましく言った。 「そっかー、リアがね」 「なんだよ」 「別に。そんならここにいてくれれば良かったのにって思っただけ」 「悪かったな、いるのが俺で。役に立たなくて」 うん、あたし、ちゃんと喋れてる。気づかれないよう、ほっと息を吐いて、あたしは笑った。 「その友人の方のベルがターレンの遠縁だったらしいことは知ってる」 あらら、むきになってる。アサキオが言い募るのに苦笑した。 「ターレン家ってどんだけなのよ」 「グズマの後だからか、適当なのがいなかったのか、知らないけど。そうして遠縁を出すことになったニゲル以外は、割と途切れずにベルが選出されているからな。ちゃんとした直系から次代のベルを出すことは、悲願だったらしい」 あたしはちらりを出入り口の方を見た。先程までここにいた金髪。同じ人を連想したのだろう、アサキオが続ける。 「あいつは、年齢もちょうど良いし、小さい頃から、ベルになることは決まっていたようなものだったんだ。たぶん重圧もあったんだろうな。昔はそんなこと気づかなかったけど、今となっては、そう思う」 「そっか」 そう聞くと、ちょっと居心地が悪くなってしまう。ま、だからって歪んで良いわけじゃないと思いますけどね。これは口の中だけで呟く。 「ええっと、まずこれがイーアさんご本人でしょ。ここで二人座ってるのが兄妹だとすると……。この女の子がニゲルのお友達とその兄なのかな。真ん中の人は身分低い騎士だって言ってたし……これは夫婦だろうし……」 「こちらの男は服装からして従者だから違うだろう」 「そうなの? じゃあ、こっちの男の子かなあ。年齢も近いよね」 幸せそうにパイを手に持つ少年。確証は持てないが、この彼が、アサキオの言ったイーアの友人なのだろうか。 「なんか」 「ん?」 最初は、以前のベルなんて、ファンタジーかおとぎ話かって存在だった。その後、逸話とかを色々調べたけど、まだ歴史小説を読んでいる気分だった。 でもこうして、絵ではあるけど顔が分かって、だれがどんなものを残していて、だれとだれが仲良くて、なんて話を聞いていると。 「ここは現実で、この人達も、あたし達と同じように、生きてたんだなって……思う」 そしてあたしは何度でも、この世界は現実なのだ、と自分に言い聞かせる羽目になる。 聖女の肖像。幸せの一幕。もの思う横顔。 絵として楽しむなら、ピクニックの絵が一番だ。綺麗だし、目に楽しい。完成度だって高い。 でも、ハスとして、ニゲルという人を見るのであれば。どうしても気になってしまうのは、彼女の横顔を描いたデッサンだった。 自分に引き寄せて、自分の思いを投影して、見てしまうからか。 ──あなたはなにを考えていたの? ──あなたもどこかに帰りたかったの? 「ニゲルは、どこに行ったんだろうね」 「どういう意味だ?」 「彼女はこの世界で死んだけど……いや、ごめん、良いや」 やばい、気づかれたかな。言うつもりじゃなかったんだけど。 ニゲルも、他のルディカ達も、帰還していない以上、この世界で死んだのだ。その魂は、どこへ行ったのだろうとか。 もしかして、死んだら戻れるのだろうか、とか。 そう考えたことがないとは言わない。魂なんて不確かなものに賭けようとまでは思えないけど。 口には出さない、言葉にするべきじゃない。それでも、思考の隅で、考えてしまう。 「ハス、聞きたいことがあるんだが」 口を噤んで絵を眺めるあたしに、そう声が掛けられた。 「なに?」 顔は動かさないままに促す。 しかしアサキオは、暫くの間、口ごもっていた。なんだなんだ。 「……最近、ちゃんと泣いたか?」 「はっ?」 唐突な発言に、つい、間抜けな声を上げてしまう。勢いよく振り返るとアサキオは、慌てて首を振った。 「いや、別に泣けと言っているわけじゃないんだ。……いや、思ってるのか?」 「お願いだからそこは自信持って」 自分の発言に首を傾げないで。こっちがはらはらしちゃうでしょ。 だいたい、「ちゃんと泣く」ってなに。 「泣くんじゃなくても、きちんと、自分の感情を表に出したかってことだよ。溜め込んだままでいると、いつかこらえきれなくなるぞ」 「いやー、えー、そんなこと突然言われましてもね」 「それはそうだよな」 アサキオは少し落ち込んだようだ。 ていうかこの人の中でのあたし、泣き虫だと思われていないだろうか。一抹の不安を覚える。確かに以前泣いたのは事実ですが。でもでも、普段はそんな、人前で泣くようなことしないんだよ。そもそも泣いたりしないよ、この間のだっていつ振りに泣いたってレベルですよ。 「俺も昔、やったことがあってさ。無理な仕事を無理と言わずに、最終的に、当時の上司に迷惑を掛けた。ガキが気を遣うんじゃねえ、って凄い音量で怒鳴られた」 「そ、そうなんだ」 うわーお、聞きました? なんでもそつなくこなしそうなアサキオにも、そんな時代があったんですね。 「悪いけど、ハスにも同じことを思ってる。まだ子供のくせに、気を遣うんじゃないって」 「ガキだから?」 「そうだな」 彼の口振りは珍しくおどけたものだった。あたしは一度は口元を緩ませたけど、次第に、俯いていった。 「そんなこと言ってもさ」 みっともなくぼそぼそと喋る。感情の滲む声を、聞かせたくなかった。 「そんな、頼ったりなんて……できないよ」 無理言わないで。口からぽろりと出たのは、本音なのだろう、と人事のように思った。 こんな場所で、家族もいなくて、どうして、赤の他人に頼れるだろうか。 あたしは強く、なにものにも負けない。家族がいればなにも怖くない。 それがあたしのよりどころ。それがあたしだ。 ねえ、だから、揺らさないでください。 「ハスには酷なことを言っているのかもしれない。でも、子供は大人にもっと甘えるべきだと、俺は思う。世界が違うとか、育った環境が違うとか、一旦、脇に置かないか。ただ、ハスは年下の女の子で、俺は年上。それだけで十分だろう」 「……なにそれ」 「先輩の言うことは聞くべきだ。もっと甘えなさい」 彼が余りに真面目な顔で言うので、思わず、ふふっと笑いが漏れた。 「甘えろって、わがまま言えば良いってこと? 今と変わらないじゃん」 ルディカに求められることって、子供に求められることとおんなじだったのかー。そっかー。 「まあ良いよ、それなら甘えさせてもらうよ。あたし、探検の途中だったんだ。ラタムは行っちゃったし、アサキオ、代わりにつきあってくれる?」 「そういうことじゃないんだが……」 アサキオの発言には気づかない振りをして、唇を引き上げてみせた。彼はやれやれと肩を竦める。 「そういえば、明日は街に出るけれど、明後日からの予定は決まってるか?」 「ううん。なにしようかなって思ってたとこ。あ、湖でボートとかって乗れるのかな」 「できると思う」 そのまま、アサキオと一緒に部屋を後にする。絵の小部屋は、これまで通りひっそりとしていた。訪れる者がいようがいまいが、関係ないのかもしれない。 アサキオの隣を並んで歩きながら、あたしは、彼に聞こえないよう息を吐いた。 ――あーあ、子供扱い、か。
2015/09/30