それからはまた部屋の中は無言に戻った。お兄さんは元の立ち位置に戻り、あたしはまたもや放置プレイ。 ああ、なんだか鳩尾の辺りが気持ち悪い。ストレスだよー。 ……混乱していても始まらない。あたしは一人、頭をひねる。 要は、あたしがそのルディカとやらじゃないと確認させれば良いのだ。だってこのあたしが聖女だなんて、なにかの勘違いに決まっているではないか。なんか紛らわしいことして誤解されちゃったんだろう。あたしが聖女であるはずがない。当たり前じゃん。 それで、帰り方を聞いて、このお兄さんにはお礼を言って。家に。心配しているだろうから。うちの男どもはちょいちょい過保護なんだから。ちょっと出てくるだけのつもりだった。晩ご飯の用意もしてきてないし。今日はスーパーのお総菜になっちゃうかもな。 買い物にいく途中だった。あたしの真横、ソファの上で、ひしゃげているエコバッグ。 部屋の中が静かだった分、ノックの音は唐突に響いた。肩がびくっとしたじゃないか。恥ずかしい。 お兄さんが応答してドアを開けてくれる。 銀髪の、男の人が入室してきた。 って。っと。うわあ。この人も美形だ……。 うっすらと光る柔らかそうな髪。帯のような布で束ねて背中に流してあるそれに視線が引き寄せられる。その人になにやら小声で話しかけているお兄さんの、犬っ毛っぽいベリーショートな黒髪とは色んな意味で対照的だ。あたしと張るんじゃないかな、長さ。つやつやだよ。悔しい。 にしても、この辺りって美形の集中地域なのですか。そうなのですか。いや、でもさっきの兵士の群れは普通だったよな。お兄さんが突出していただけで。 そもそもここって人種どうなってるんだろう。兵士達に連れられていた時はテンパってたからそんなに気をつけて見なかったけど、思い返してみると雑多な印象を受けたかもしれないな。お兄さんは美形だけに少しだけ彫りは深めだけど、切れ長の目がアジアっぽい。対する銀の人は完全ヨーロピアンだ。北欧だ。エルフだ。多民族国家? しかし、なんにしてもこんなハイレベルに囲まれてるともう居心地悪くなってくるよ。お兄さん一人なら耐えられたけど。楽しめたけど。 っていうか銀の人がね、眼孔鋭いの。結構ね。手加減していただきたいわけですがそこんとこどうなのでしょうね。ちっちゃい子だったら怯えてるんじゃないの。 「こちらが今回のルディカ?」 銀の人はじろじろとあたしを眺め回しながら小さく呟いた。どうやら独り言のようだ。お兄さんは肯定の返事を返したけれど、聞いているのかいないのか、なるほど聖印が、などとまた一人でぶつぶつ言っている。 「失礼」 言うが早いか、行儀良く膝に置いていた右手が奪い去られた。わわっと思わず声を上げたのにも反応しない。これが本物か、なんてぶつぶつぶつぶつ。ほーう。あたしは冷たい目を向けた。 と、銀の人が突然そのまま顔を上げる。自然見つめあうような形となり、あたしはたっぷり三秒間は硬直した。だって、多少失礼でも、この男は美形なのだ。なんたってエルフなのだ。 至近距離。ああ、碧眼ってきっとこういう瞳――。 ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。 「聖女なら聖女らしく、せめてもっと愛される容姿であって頂きたいものでしたが」 まあ、詮ないことですかね、と。 一瞬の硬直に続いて、アギ、と今度は非難を纏わせたお兄さんの声。 ……ちょっと待て。 お前今なんて言った? それって……それって……! ちょっと、もうあの、とにかく! 曲がりなりにも女性に対して、言っても良いことと悪いことがあるでしょう! 遠回しだからって許されるとでも? いらっとした。手をやんわり振り払い(本当は思いっきりやりたかったけどそんな度胸なかったの! うう)、その男を睨んでやる。 銀髪は立ち上がり、嫌みなほど深々と礼をした。 「お初にお目もじ仕ります、聖女様。私はラタム・アギ。僭越ながら神官長の末席を頂いております。お見知りおき下さいませ。また恐らくは貴方様のベルの一人となるかと思いますので、ご容赦のほどを」 また分からない言葉が出てきた。ベル? 鈴かなにか? 「……なんなの?」 思ったよりも不機嫌な声が出た。ラタムと名乗った男の後ろから、慌てたようにお兄さんが割り込んでくる。 「アギ。ルディカは混乱なさっているようなんです。説明を差し上げてくれませんか」 「説明? ――なにをお聞きになりたいのです?」 ラタムがあたしに向き直る。この男、たぶんモノクル似あうな。まさにインテリジェンスって感じだ、嫌みな。 「あたしは」 すうっと息を吸い込む。 「ルディカなんかじゃ、聖女なんかじゃありません」 「ほう?」 ラタムがくいっと眉を上げる。似あってる。あ、なんかだいぶむかむかしてきた。 「あたしはただの成木蓮子! ただの高校生なんだから、勘違いもほどほどにして下さい!」 あたしが聖女? 冗談じゃない。 「そのようなことを申されますな。あり得ません」 「あり得ないのはそっちだっつーの! あたし、ルドゥキアなんて知らないし、これまで聞いたこともないし、それなのにそんな聖女だとか、あるわけないじゃん」 ラタムが冷ややかに見下ろしてくる。馬鹿な女の子って思っているんだろうか。はん、上等じゃない。 「貴方には御印がございます。ルドゥキアの刻印が。それは絶対的な証だ」 「これくらい、ペイントとか、入れ墨とか」 「入れ墨が光りますか? ちゃんと光ったのでしょう?」 後半部はお兄さんに向けての台詞だった。勿論、肯定の返事。あたしは唇を噛む。ばっちり見られていた。あたしも目撃した。そういえば光ったんだっけ、これ。 あたしの常識では、入れ墨は光るものではない。 この光る入れ墨が、ルディカの証ということ? は? むかつきが方向性を変えていく。嫌なのに。 「……ルディカってなんなんですか?」 「伝承では、至高なるルドゥキアの愛し子と言われております」 即座にラタムが答える。模範解答、なんだろう。 「うん、はい。それはさっきまでそっちのお兄さんに話を聞いててなんとなく分かりましたから」 「ではなにを聞きたいと?」 「だから……」 落ち着け、あたし。クールダウン。冷静でいなきゃ、判断なんて下せない。 ああ、でも、どうしよう。 光る入れ墨。彼らにとっての「証拠」がある。これってさ、あたしがなにを言っても、入れ墨がある以上、主張は聞き入れられない、そういうことなんじゃない? っていうかそもそもどうなの。あたしってどうなの。いや、そんなはずは。 「あたしは、落ちてきました。信じられないかもしれないけど、落ちてきたんです。買い物に行く途中でした。いつも通る道を、普通に、歩いていたの。ただそれだけ。それなのに、いきなり、落ちた。それで、気づいたら、ここにいて。……こんな入れ墨なんか、知らない。御印なんか、知らない。あたしじゃない、こんなの」 ぶっきらぼうにあたしは言葉を落としていく。構うもんか。変な子だって思われても、そんな、聖女なんて、ルディカなんて、そんな、そんな。ああ、っていうか、かーゆーいー。 「……ふむ、落ちてきた、とは?」 「まんまです。落ちたの! 知らないよ。こんなところも、知りません。ここはどこなの? 日本? なわけないよね。でもどうして?」 「ニホン?」 「日本。日本国。ジャパン。ユーラシア大陸の極東。なんだって良いけど」 「そのような地名はこちらにはありませんね」 「は? 日本知らないとか、いや、それはまあ良くても、ユーラシア知らないとか。五大陸くらい言えるでしょ?」 「生憎と、寡聞ながら存じ上げません。――つまり貴方は、グルデナの外から来たと、そういう解釈でよろしいですかね」 「グルデナ?」 今度はあたしが聞き返す番だった。まただ。また、知らない。 「グルデナはグルデナですよ。国よりも、大陸よりも、もっと大きなものです。全てを内包した、ルドゥキアがお創りになった」 ああ。 「世界?」 「そう、世界(グルデナ)でございます」 鳥肌。 なに? 今、そうだ。音声が、だぶって聞こえた。 「グルデナ? せかい?」 掠れた声。ああ、これ、あたしの? 「ルディカ。ナリキ様とお呼びした方がよろしいか? 貴方がどうであろうと、貴方はルディカであらせられます。その刻印のある方は、間違いなくルディカだ。そうですね、聖書の一節に、ルディカは選ばれし乙女との記述もございましたが、なるほど」 なるほど? なにが、なるほど? 意志とは関係なく、当人にはなにも告げずに、唐突に。そうやって選ばれた乙女。このあたしが? 「そうであるならば、貴方は選ばれたのですよ。グルデナの外より、救い手として、ルドゥキアの使いとして、貴方は尊き御手によりこの時、この場に下されたのです」 なるほど、と。目の前の銀髪の男の真似をして、口の中で呟いてみる。 なるほどね。つまりこれ、異世界召還ものってやつらしいです。 そうだね、察しては、いたよ。 ね、そうでしょ? 「ルディカってなんなんですか?」 絶句の時間の後で、あたしは再度その問いを発した。まだ分からないのか、と言わんばかりラタムを遮って、言う。 「つまり、なにをする存在なんですか? あたしになにをしろって?」 あんた達は。その神様とやらは。 あたしになにを求めようっての? 「――ルディカはグルデナの救い手であらせられます。世界の歪みを正す、その役を至高なるルドゥキアより与えられたもうた」 うえ、びっくりした。救世主! あれ、じゃあよくある勇者ものみたく、魔物とかと戦うわけ? 精霊王との契約? 友達の家で昔そんなゲームやったな、懐かしい。 「あたし、そんな聖なる力とか持ってませんよ」 だからむーりむりむり。 「ルディカはその存在こそが浄化なのですよ。貴方様はただこちらにいらして下さるだけで結構です」 なんだそのお手軽設定。波瀾万丈超大作が泣くぞ。 そしてあたしが口を開くより先に、先回りしてラタムは告げた。 「そう、ルディカの存在が必要です。先例をみる限り帰還の道はございませんので、それをお忘れなく」
2012/01/08